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ツアープランナーがSEDOのツアーを写真と共に詳しく紹介します。

『白村江の戦い』古戦場探索

商品価格 ¥64,000(4名様)    ¥58,000(8名様~ 
簡略紹介 日本(倭)はなぜ百済の復興に生死をかけたのか?663年、百済に2万5千の兵士を派遣して新羅・唐連合軍との東アジア史最大の海戦が行われた白村江地域の探訪をはじめ、日本の飛鳥文化の根本である百済の歴史を探求する、歴史的企画商品です。 
期間 年中 「3泊4日間の旅」 
コース 全州(白村江)→大田(扶余・公州)→ソウル 
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※ 旅行代金には航空券代は含まれておりません。

歴史のミステリー”。百済の滅亡後に行われた東アジア最初の国際海戦である白村江の戦い。

この戦いに、日本は百済におよそ1000隻の軍艦と42000人の兵隊を送ったと言われています。2年6ヶ月間の準備期間を経て大規模の派兵を行った日本と百済は、いったいどんな関係だったのか!?

 

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東アジアの主要3カ国である日本・中国・韓国は、歴史的に自国の運命をかけて戦った戦争が3回ありました。一つ目は1592年の文禄の役であり、日本と朝鮮そして明国が戦いました。二つ目は1894年の日清戦争であり、清国と日本が朝鮮の支配権をかけて戦いました。この2つの戦争は、3国の歴史に大きな転換期をもたらす戦争でした。 

 

では東アジアの3国が戦ったもう一つの戦い。それはどのような戦いでしょうか。
福岡朝倉行宮(筑紫 朝倉宮)で、皇極天皇(斉明天皇)は白村江の戦いのために万全の準備をしますが、その途中の661年7月24日に逝去します。次の天皇である天智天皇は、即位式を延ばして喪服だけ着たまま派兵準備を強行し、いよいよ 663年 3月白村江に出兵します。

 

百済は日本にとってどのような存在であったのか?なぜ百済復興に全力を尽くしたのか?

 

今回のツアーでは、東アジアの3国が戦ったもう一つの戦争である“白村江の戦い”の激戦地を観光します。歴史家からは、1300年前に東アジアの版図を分ける決定的な分岐点になった戦いであると評価されています。『百済が日本の歴史に与えた影響とはどのようなものだったのだろうか』と言うことについて探求できる企画としました。

 

旅行前知っておきたい情報

白村江の戦い 

白村江の戦いとは、663年(天智2年)8月に朝鮮半島の白村江(現在の錦江近郊)で行われた戦いです。日本(倭国)・百済の連合軍と、唐・新羅連合軍(羅唐同盟)との間で、海戦と陸上戦が繰り広げられました。

 この戦いは、唐・新羅連合軍の勝利に終わりました。当時、中国大陸には大国である唐が出現ており、この戦役により東アジアの勢力図が大きく変化しました。この敗戦により、日本(倭国)の国防体制・政治体制の変革が起こりました。この結果、百済から日本に数万人が脱出するようになるなどの大きな影響を日本にもたらしました。

 

白村江の戦いを眺める日韓学者たちの主張
日本側の立場

 

book.jpg- 遠山 美都男 (とおやま みつお : 白村江 著者)

 

 当時、国家間の立場としては、日本は百済や新羅よりも上位であった。政治的な面でさらに上位に立とうとし、また日本の属国であった百済を取り戻すために軍事介入を行ったのがこの戦いである。要するに、日本が中国と同じように韓半島の上位に立ち、大国である日本という位置付けを実現しようとした戦いである。

 

 

 

 

 

- 石母田 正 (いしもだ ただし : 日本の古代国家 著者)

白村江の戦いは、中心の大帝国主義と日本中心の小帝国主義がぶつかりあった古代帝国主義の戦争である。つまり、新羅を服属していた唐の大帝国主義と高句麗と百済から朝貢を受けていた日本の小帝国主義がぶつかりあった戦争である。

 

 

 

VS

韓国側の立場

・日本の歴史書と唐の歴史書の記録

『日本書記』の中では、派兵の動機を“鬼室福信の言葉に従い”と表現している。また、唐の歴史書では日本軍を“夫餘の王の風(プン)の連中”と記述している。

 

・天皇が募兵した地域は、大部分が百済の難民が定住していた地域であった

百済に派遣された兵士のほとんどは、大和政権からは独立した百済人勢力があった地域で募集された兵であった。そのため、これらの兵士たちは、百済が危機に直面すると積極的に派兵に加担した。その百済人勢力があった地域とは、岡山県総社市いある鬼ノ城(温羅の城)である。

 

・ 皇極天皇(斉明天皇)の夫『舒明天皇』と、彼の先祖である『継体天皇(男大迹王)』の血筋は百済系であった

1997年に発掘された奈良県明日香村百済大寺址は、日本書記にも記録されています。建築様式の技法は、百済のものと同様です。また、日本の国宝第2号『隅田八幡神社人物画像鏡』の裏側に記された製作の経緯をよく見ると、“'斯麻(武寧王)が弟である継体王の長寿を念願して送るもの”と記されています。ここで書かれている『斯麻』は、韓国の武寧王陵で発掘された石版に“百済の斯麻王は 523年に死んだ”と記されています。それゆえ、この戦いは日本に住んでいた百済人たちによる母国の救国戦でした。 

 

隅田八幡神社人物画像鏡の原文

「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟」

 

ツアー日程

 

日 次 食 事 スケジュール ホテル
第1日目
朝 :  
昼 :
夕 : 全州韓定食

国際着専用車にて西海岸高速道路経由

白村江(錦江と東進江)、開巖寺観光後全州へ

食事後、ホテルへ

全州
(デラックス)

第2日目
朝 : もやしクッパ
昼 : 全州ビビンバ
夕 : 山菜定食

百済の首都夫余観光 : 扶蘇山(落花岩、皐蘭寺)、宮南池、定林寺址、国立扶余博物館、
百済歴史再現団地など観光後柳成へ


扶余ロッテ

(デラックス)

第3日目
朝 : ホテル
昼 : 花サンパブ
夕 : カルビ

公州武寧王陵、国立公州博物館観光後、

水原(スウォン)に水原城観光後、ソウルへ

ソウル キャピタル
(スーペリア)
第4日目
朝 : ホテル
昼 : 宮中鍋
夕 :  
景福宮、北村、仁寺洞
キムチ店経由空
TOUR OUT
条件  ★2人または3人1室利用です       ★週末(金曜日出発):¥4,000UP
備考  

 

 

 

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仁川国際空港に着いた後、韓国の南部地方へと移動します。上の写真は、約 8千メートル上空からの衛星写真です。『白村江の戦い』の激戦地となった所です。現在、白村江の位置は大きく分けると錦江河口と東進江河口という学説がありますが、百済の最後の抵抗地である周留城の位置と文献的な解釈を基にして、“錦江河口が白村江である”という学説が有力であると言えます。

 

 

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水が引いた錦江河口の姿です。 完全に引くと、何里にもなる干潟(上の衛星写真で錦江河口地域の白い部分)が現われます。干潟は、軍隊が上陸しにくい条件の一つですが、百済が 660年に滅亡した理由の一つでもあります。ここで積極的に阻まなければならなかったはずの唐の軍隊を、内陸に入って来るまでずっと待っていたことが敗北の理由です。

 

油断していたために干潟を通過させてしまったなんて…。一方、後退できない唐の軍隊は背水の陣を敷く心構えで沿岸の百済軍に向って決死の覚悟で戦うしかなかったと思われます。

 

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白村江であったと言われている錦江河口を観光した後、世界最長の防潮堤としてギネスブックに記録された『萬金防潮堤』に行きます。防潮堤の長さに驚いた後、白村江であったと言われるもう一つの場所である東進江河口に行きます。果たしてどの地域が本物の白村江なのでしょう?海上の地形と感じだけでは分かりにくいですが、SEDO旅行社は錦江の河口地域に一票。
 

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海の万里の長城と呼ばれる萬金防潮堤はどうでしたか? 干拓事業が行われた当時、多くの話題となった萬金防潮堤を後にして、百済の周留城(禹金山城)があったと言われる場所に移動します。こちらは、 634年(百済武王 35)に妙蓮王師が開祖した開巌寺という寺です。日本に援軍を要請した扶餘福信と、その要請で百済に帰って来た百済義慈王の息子である扶餘豊が百済復興運動を行った本拠地であると推測されています。

 

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開巖寺の上の 500余 メートル離れた所には、まるで窓を開いておいたような姿の禹金石という大きい岩があります。この岩のまわりに周留城があったと推測されています。こちらを周留城だと考える理由は、開巖寺に侵入した泥棒が大きい役割をしたと言われています。その役割って何のことだったんですかね?泥棒さんありがとう~! 

* ガイド説明 : 1979年 12月 3日の夜明け頃、開巖寺に泥棒が侵入して仏像の中にある品物を盗みました。 翌日、床には泥棒が盗み損ねた『陀羅尼經』と『結期』と書かれた紙が残されており、 この『結期』に記された内容が、周留城の位置を把握する上で貴重な考査資料になったと言われています。

 

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白村江から周留城まで見学して全州(チョンジュ)地域に帰って来たら、お腹がペコペコになっているに決まっています!韓国でも有名な全州地域の韓定食メニューで夕飯をいただきます。全州地域の韓定食は、他の地方とは違っておかずだけ食べてもお腹が一杯になるほど種類が豊富です!様々なおかずを味わってください。 (カンバラムウンビヌル : 063-247-2341)

 

どのおかずも追加注文は無料! お好きなおかずがあったら「おばさん~お代わりお願いします!」。ただし、メイン料理のお代わり注文をすると別料金ですので、気を付けてくださいね。大体は小さなお皿で出て来るものがおかずですので、覚えておくと便利です。

 

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夕飯を美味しく食べてホテルに帰った後、寝る前に暇があったら全州韓屋村を散歩するのもいいです。ホテルから近い場所にあります。約 700軒の韓屋がある観光名所です。全州韓屋村以外にも、韓国で一番美しい聖堂として知られている殿洞聖堂や、朝鮮王朝の始まりである太祖李成桂王の資料がある慶基殿などもあります。

 

散歩の後、どこかのお茶屋でお茶を飲みながら今日見た白村江の戦場跡や明日から探訪する百済地域のことについて、色々な話をしてみるのもいいでしょう。(ガイドさんと一緒に来て案内を受けてもいいし、そんなに遠くない距離なので仲間たちと来るのもいいですよ。)

 

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ツアーの2日目です。今日からは百済について調べてみましょう。楽しみ~

 

朝食のメニューは、大豆モヤシスープです。韓国では二日酔いによく食べるものとして知られていますが、二日酔いでなくても食べます。特に、全州の大豆モヤシスープは地域特産物として有名です。

 

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ぽかぽかの大豆もやしスープを食べてから、扶余(プヨ)に移動します。最初に探訪するのは、百済最後の王宮地であった扶蘇山城です。百済時代に泗沘城と呼ばれていたこの場所は、頂上部分を結びつけたように石を積み上げた後、谷間を囲む周辺の山陵に城壁を作った構造の山城です。 

 

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入り口から三忠祠を経て着いたこちらは、迎日樓です! 660年頃、百済を侵攻した唐の兵士たちが山城を侵攻した時に作られた、『劉仁願紀功碑』があったところです。劉仁願紀功碑は、現在扶余国立博物館に移転されています。

 

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山城の中心部には、青銅器時代の住居跡が残っています。色々な形に土を掘って食べ物の貯蔵庫にしたり、柱の穴に使用したと言われています。このような方式は、主に青銅器時代の住居様式と言われています。
 

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山城道を歩いて行くと、半月樓が現れます。この樓閣は1972年に建てられたもので、白馬河と扶余の市街地が一望できます。

 

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こちらは泗澬樓(サザル)。扶蘇山(プソサン)城で一番高い場所に位置しており、月見をしたという松月台があった場所です。今の樓閣は、百済時代ではなく朝鮮時代に作られたものです。建造の際、名前が刻まれている『金銅鄭智遠銘釋迦如來三尊立像』が発見され、注目された所でもあります。

 

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こちらからが当社のオススメ。
その一番目が落花巖の百花亭。百花亭の上で眺める白馬河と周辺景色の美しさは言い尽くせないほどです。百済の滅亡当時に宮女たちがこちらの絶壁から落ちて死んでしまったという伝説があります。その魂を鎮魂するため、1929年にこの亭子を作ったと言われます。いったいどのぐらいの宮女が死んでしまったでしょう?ガイドさんに聞いてみましょう~ガイドさん!

 

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次は皐蘭寺(ゴランサ)です。この寺の見所は、寺の壁に描いている壁絵! 百済時代のものではないが、日本との深い関係が?

 

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色々な壁絵の中で特に注目すべきはこの絵!日本人の少女3人が、仏教に感銘して比丘尼になるために命をかけて海を渡り、百済の皐蘭寺に修業に来たという内容です。 

 

この三人は、日本史上最初の比丘尼として飛鳥文化の黄金時代を開く甚大な力になったと言われます。その三人は善信尼・禪藏尼・惠善尼と呼ばれています。善信尼は、飛鳥の王室で仏像を作った百済系高位階級の技術責任者である司馬達等の娘でした。

 

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壁絵を観賞した後は、後ろを見てください。百済の王がこれを飲んでから元気が回復し、食欲旺盛で胃腸病はもちろん風邪も引かなくなったと言われている伝説の薬水です! 皐蘭井の藥水を飲んでみましょう。3年ずつ若くなるという伝説が・・・3杯は飲まなきゃ! 

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皐蘭寺で3年以上若くなった皆様!何となく元気がでましたか?皐蘭寺から下りて来て渡し場に行き、船に乗ります。白馬河上で眺める皐蘭寺と落花岩は、とても美しいです。ガイドさんから落花岩について案内を受けた方は、落花岩で死んでしまった宮女たちを思い出してみましょう。

 

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扶蘇山(プソサン)城を観光した後は、日本書紀に日本造景の礎として記されている書童公園の宮南池を観光します。この宮南池は、百済宮の庭園として韓国の庭園の中でも最も古い庭園として知られています。 この庭園を見れば、百済の造園技術がいかにすぐれていたかが分かります。睡蓮の花が満開になるときが最も見頃です。

 

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昼食は、プヨ(扶餘)で有名なビビンバです。とっても美味しいですよ~

 

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昼食後、休息をしてから訪ねるこちらは、日本古代のお寺の始まりになったという定林寺址です。定林寺は百済時代に市内の真ん中に位置していた重要なお寺だったと言います。お寺の中には花崗岩で作られた韓国の国宝第9号である扶余定林寺址五層石塔があります。木造塔の模倣ではなく特創的な変化で完璧な調和を確立しました。韓国石塔の基本様式としてその意義が大きい塔です。この石塔と南北で向かい合っているのが定林寺址石仏座像で高麗時代に作われたものです。

 

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次に移動するコースは国立扶餘博物館です。こちらでは青銅器時代だけではなく百済時代の生活と文化を感じることができます。特に、百濟金銅大香盧や七支刀の複製品もあるし、色々な遺物を通して百済人の鉄を扱う技術や細工技術を確認できる所でもあります。 また瓦の形態とか各種文様などを日本の物と比べながら鑑賞することもいいですよ。

 

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2日目ツアーの最後のスケジュールは、百済の文化生活を再現した百済文化再現団地です。

 

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百済の王宮、陵寺、生活文化村尉禮城などを造った所です。王宮、査察のきれいな丹青は百済時代の代表的な建築様式としてプヨ城のすべての建物を百済時代遺跡と遺物に根拠したリアルな再現を通して百済の歴史、文化を理解するのに役に立つと思います。

 

時間が余るとしたらソドンヨセット場に行ってもイイです!

 

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百済文化再現団地より規模は小さいですがそれなりの趣風があります。これでブヨのツアーをおしまいです。柳成にGOGO~

 

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柳成に移動して夕食の山菜定食を食べます。様々な種類のナムルのいい香りと味で気分がUP。移動時間も長かったので十分に夕食を食べたらぐっすり寝られますよ~明日のツアー地も楽しみ!!

 

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3日目の探訪地は宋山里古墳群として武寧王陵がある場所です!!日本の国宝第2号の「隅田八幡神社人物画像鏡'の裏面に刻まれた」斯麻が弟王(継体天皇=男大迹王)の長寿を念願して送る物と記されていますが、ここで斯麻が武寧王ということであると知られています。 また、武寧王の棺は韓国にはない木材として原産地が九州の大分県で自生する金松と知られています。日本と親密な関係だったことを見せてくれるのではないでしょうか。

 

隅田八幡神社人物画像鏡の原文

"癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟"

 

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武寧王陵はどうでしたか?日本と深い関連があるからもっと知りたいですよね!それでは皆さんもっと詳しく知るため国立公州博物館に行きます。ここでは松山里古賁群から発掘された各種の遺物が展示されています。得に、王武寧陵の発掘当時の姿を再現した物もあるし、503年に繼體天皇に送くられた人物畵狀鏡に記された「斯麻」について分かれる石版がありますが、その内容は "百済の斯麻王は 523年に亡くなった."という内容です。歴史的に関連深い物がたくさんあるので日本との歴史的な関係や日本の遺物との差を比べながら鑑賞するともっと楽しいです~♪

百済滅亡の瞬間から歴史の流れの逆方向で始めた今回のツアー

 

東アジア3国の最大の海戦の地域であった白村江戰鬪地域を探訪しながら百済復興運動の本拠地も確認してみましょう。百済の昔の首都である扶余(プヨ)で様々な遺跡地と遺物をみながら、百済人たちの生活及び各種建築物や土器の文様など日本との文化交流について調べてみたし、百済関連の最後のツアーの場所である公州(コンジュ)では日本の国宝第2号と武寧王との関係についても調べてみることで百済という国が日本とどのような関係があるかに対する不思議が晴れたと思います。

 

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このように百済関連のツアー地域を全部探訪したらもう昼食タイムです~♪メニューは地域特産品である花サムバブ。食用の花をご飯と一緒に包んで食べるものです。色が可愛くて見てるだけで幸せ~花はいったいどんな味なのかな。

 

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昼食を食べる間ずっと花の美しさに酔ったためか…そろそろ眠いです。韓国人がよく食べるサンチュの中には少しの睡眠を誘発する成分があります! とにかく車に乗って着いた場所は世界文化遺産中のひとつである水原城です~

 

こちらの水原城は都心の中に位置してあって周りの現代風の建物と一帯になって新しい風景を見られます。また正祖大王陵行次/ 武藝24技 / 壯勇營守衛儀式 / 宮中文化祝祭など面白い公演や見どころがたくさんです。なかなか鑑賞できないものですから是非楽しんでみましょうね。

 (正確な時間割りは水原城運営財団の行事日旌を参考にしてください)

 

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見どころが多いソウルに着いた後にはカルビを食べますー!!カルビを食べる時にキムチも焼いて一緒に食べると美味しさ2倍!!

 

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夕食後の外はもう真っ暗の夜。なんだか田舍雰囲気の場所にあったためかソウルに到着して見たら別天地です。旅の疲れを癒すためのエステまたは清渓川の夜景、ソウル Nタワーに上がってソウル夜景を鑑賞するオプショナルツアーコースをおすすめします。ガイドさん~ソウルの夜景が見たいんです。

 

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ツアーの最後の日にはソウルの名所探訪をします!こちらは景福宮(キョンボックン)です。景福宮は歴史的に色んなもめごとが絶えなかった建築物です…。(´・ω・`) 何回の火事で本来の姿を見失ったこともあるけど最近1次復元が完了されました!有名な光化門はキョンボク宮の正門ですよー

 

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韓国ドラマ大好きな方には大満足感をもたらす北村韓屋村です!!! 北村韓屋村は景福宮(キョンボックン)と昌徳宮(チャンドックン)そして宗廟(チョンミョ)の間に位していてソウルの600年の歴史を一緒に向った韓国の伝統居住地域として今も人が住んでいます~ 韓国ドラマ「私の名前はキムサムスン」と「個人の趣向」の撮影地としても有名!!

 

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次は、近くにある仁寺洞(インサドン)にGo!! 仁寺洞にはアンティーク・ショップが多いのでイイ雰囲気を感じられますよ!写真はSSAMZIE道の風景。最近海外の観光客に人気な場所!!可愛いものや韓国風のアクセサリもいっぱいあります。カフェーや飲食店もあちこちに集めています。建物のデザインがユニークで写真撮影にいいです。
 

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仁寺洞で販売している各種の工芸品と街並みの風景です。色々なモノを売っているから楽しい。しかし、中国製も多いので買う前に必ず確認することを忘れないようにしてください。こちらは得に春と秋がにぎやかです~

 

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韓国での最後の食事は宮中鍋料理♥様々な牛肉の部位を入れた鍋料理です。美味しくてさっぱり~ でもやはり最後だから寂しいな。

 

 

韓国人たちに一番愛されている食べ物はキムチ!キムチは種類も味も色々。健康にも美容やダイエットにもいいと知られて最近全国からLOVE CALL中です!! お土産としてもいいですよ!!キムチは醗酵食品なので旅行の最後の日に買ったほうがいいですよ!できれば免税店の食品コーナやガイドさんがおすすめするキムチ店で買ったほうが便利!!大きいマートや一般のスーパーで売っているキムチはすぐ食べるように作られているもの!だから早く食べないと味が変えちゃいます。

 

 

 

 

 

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