北朝鮮(北韓)観光

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北朝鮮(北韓)観光

場所 北朝鮮(北韓)  
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기타 정보

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★北韓について

①国名 : 朝鮮民主主義人民共和国
②首都 : 平壌(特別市)面積 : 122,762㎢
③気候 : 年平均気温 9.3℃、年平均降水量 826㎜
④人口 : 約 2320万人(2007年データより)
⑤行政区域 : 9つの道(日本の県に当たるもの)と1つの特別市、2つの直轄市(南浦、開城)、25市38区147郡
⑥政治体系 : 共和制、最高人民会が立法権を行使する最高主権機関。
⑦国際空港 : 平壌国際空港

⑧貿易港 : 東海岸(先峰、羅津、清律、興南、元山)、西海岸(南浦、松林、海州)

⑨主要都市 : 平壌、南浦、開城、元山、咸興、新義州など。

⑩宗教:仏教、キリスト教、カトリック、天道教など、国際的な宗教団体との連帯活動も活発

★歴史 :
北朝鮮地域の祥原、徳川、雄基などで動物の骨で作った旧石器時代(B.C.70万年前)の道具が出土し、平壌、宜州、茂山では新石器時代(B.C.8000年前)の土器が発掘されました。 北朝鮮地域には韓国最初の国家であった古朝鮮がB.C.2333からB.C.108年まで存在しました。平壌と九月山近辺ではその時代の遺物である琵琶型銅剣が発掘されました。 三国時代(B.C.57-A.D.668)、三国中の一国として北朝鮮地域を統治していた高句麗は427年都邑を鴨緑江流域の国内城から平壌に移転しました。その後三国中朝鮮半島南東側を当地していた新羅が三国を統一し、統一新羅時代(676-935)を樹立。南側から現在北朝鮮地域の大部分を含む地域を領土にしていた高麗時代(918-1392)には開城に都邑があり、高麗瓷器を始めとする工芸と対外貿易が活発に行われました。 朝鮮時代(1392-1910)には、日本の侵略のため妙香山、開城、平壌、金剛山一帯で義兵活動が繰り広げられた。その後日本統治時代(1910-1945)を経て、1945年8月15日に独立した朝鮮半島は、1950年6.25.戦争により北と南に分断されました。北朝鮮はソ連の影響により、社会主義政権を確立し、1948年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国を樹立しました

(韓国観光公社資料)

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★紹介 
 2014-10-22 8-23-39.jpg   ①平壌地域 
 平壌(ピョンヤン)は北朝鮮の政治・経済・文化の中心地。平壌にある歴史文化財には大同門、普通門、大城山南門、檀君陵、東明王陵遺跡、朝鮮革命博物館、朝鮮美術博物館、朝鮮中央歴史博物館などがあり、この他にも普通江遊園地や中央植物園、中央動物園、万寿台芸術劇場などのレジャー施設もあります。 
 
2014-10-22 8-24-00.jpg  ② 開城地域
 開城(ケソン)は高麗人参の原産地として知られる所。観光地としては南山、善竹橋、開城南大門、演福寺、高麗博物館などがあります。  
2014-10-22 8-24-22.jpg  ③妙香山地域
 妙香山(ミョヒャンサン)の主峰である毘盧峰の高さは1909m。韓国の始祖である檀君の遺跡が残る檀君寺や外国の国家が金日成と金正日に送った品々が展示されている国際親善展覧館があります。  
2014-10-22 8-24-52.jpg   ④九月山-果樹地区
 九月山(クウォルサン)は中西部海岸にあるリゾート地。この地区は平壌の近くにあるため平壌を訪れる観光客が登山や海水浴を楽しむためによく立ち寄る名所でもあります。 
2014-10-22 8-25-19.jpg   ⑤元山-金剛山地域 
 港湾都市・元山(ウォンサン)から金剛山に続く110Kmの全区間は海岸、湖、山などの名勝地が集まった地域。金剛山は毘盧峰(1,638m)を中心に50の大きな峰と12000の峰々が集まっており、渓谷や滝、池などの自然の絶景が楽しめるところです。 
2014-10-22 8-25-42.jpg  ⑥新義州-義州地域 
 新義州(シンウィジュ)と義州(ウィジュ)は鴨緑江の下流に位置している地域。義州は昔から平壌や開城に次ぐ都市であり、昔の城郭の城門と楼閣などの遺跡が残っています。 
 
 
 
⑦南浦地域
     南浦(ナムポ)地域は国際貿易港である南浦を中心に台城湖と平壌ゴルフ場、徳興洞

 

 

★文化財

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①大同門(デドンムン)
平安市中区大同門洞。大同門は高句麗の平壌城の内城の東門に当たるもので、6世紀中葉に建てられ朝鮮中期の1576年(先祖9)になり再び建てられました。2階建ての楼閣の城門で、高さ19m。この門は平壌城の城門の中でも最も重要なものであったとされており、当時は門の外に渡し場があり、大変な人で賑わっていたと言います。北韓国宝第1号指定。 
 
②普通門(ポトンムン)
平壌市普通門洞に位置する高句麗時代の城門。6世紀中葉に初めて建てられたもので、現在の建物は何度か補修されながら1473年に新しく建て直されたもの。他の城門に比べ、全体の高さが少し低めになっているのが特徴です。北韓国宝第2号指定。 
 
③東明王陵 (トンミョンワンヌン)
平壌市力浦(ヨクポ) 区域霧真里王陵洞に位置。高句麗の始祖である東明王の墓で、1974年発掘調査されました。東側の壁の一部と天井の壁画に蓮花文様が見られます。 
 
④開城南大門(ケソン・ナムデムン)
開城市北安洞にある開城内城の南門。1394年(太祖3年)に建てられ、幾度かの修復を経て1900年(高麗4)に建て直されました。また1950年12月には焼失しましたが1954年に再建。築台(チョクデ)と言われる積み上げられて作られた壁の上には隠れた矢を放つことができる穴が設けられている他、雨水を集め溜めておく施設も作られています。北韓国宝級第34号指定 
 
⑤開城・善竹橋 (ケソン・ソンチュッキョ)
開城市善竹洞子南山東側に位置した高麗時代(918-1392)の石橋。朝鮮時代の書家・韓石峰(ハン・ソッボン)の字が書かれた碑があります。元々の名前は「選地橋」でしたが、後に現在の名前となりました。北韓国宝第36号指定。 
 
⑥玄化寺(ヒョンファサ)七層石塔
開城市長豊郡月古里にある高麗時代の七層石塔。玄化寺は1018年に、七層石塔は1020年に建てられたもので、塔の高さは8.64m。高麗時代の石塔の中でもその高さが際立っています。北韓国宝第41号指定。 
 
⑦江西(カンソ)大墓
江西大墓は江西三暮里の平原にある高句麗時代の墓。近くにある中墓、小墓と共に江西三墓と呼ばれています。大きさによって大・中・小と分けられていますが、大墓の壁画には四神図や模様が、石壁に直接描かれています。古墳の築造や壁画にはいろいろな説がありますが、6世紀後半から7世紀始めと推定されています。大墓壁画の中には最も有名な青竜図があり、体をくねらせ舞い上がる竜の姿が活き活きと描かれており、青竜を描いた壁画の中でも最高傑作とされています。北韓国宝第3号指定。 
 
⑧江西(カンソ)中墓
江西大墓に並ぶ高句麗時代の墓。三国時代(4-7世紀中葉)高句麗時代の墓で、江西大墓と同じ構造をしていますが、壁画は四神図と模様、 天井中央には蓮の花、その周りには太陽、月、鳳凰などが描かれています。6世紀中葉または7世紀始め辺りのものとされています。北韓国宝4号指定。 
 
⑨江西(カンソ)小墓
大墓、中墓に並ぶこの小墓は、入り口が円形になっており、高さは約6.81m。大墓、中墓と同じ構造ですが、規模が小さく、壁画や飾りなどがありません。北韓国宝5号指定。 
 
⑩蓮花塚(ヨンファチョン)
平安南道江西区台城里にある高句麗時代の墓。蓮花塚の天井と壁には大きな蓮の花が描かれていることからこの名前がつけられました。また墓の内部には人や動物、火花の模様などが描かれており、こういったことから5世紀頃に出来たものだと推定されています。 
 
⑪竜岡大塚(ヨンガンデチョン)
平安南道竜岡郡竜岡邑真池洞。約5世紀ごろにのものと推定されている高句麗時代の墓です。墓の壁画には人物風俗が描かれています。北韓国宝10号指定。 
 
⑫大安里(テアンニ)第1号壁画古墳
平安南道の竜岡郡対案区にある文化財。東西に19.5m、南北に22.5mの大きさで、南向きになっています。壁画には女が機織機に座って機を織る様子が描かれています。 
 
⑬安国寺(アンククサ) 
平安南道順川郡奉鶴駅前。高句麗503年に建てられましたが、現在の建物は1786年に再建されたもの。大雄殿の前には太平楼があります。 
 
⑭統軍亭(トングンジョン) 
平安北道義州郡義州邑にあるこの統軍亭は、鴎緑江の下流岸にある楼亭。建てられた時期は明らかになっていませんが、990年(高麗成宗9年)に編纂された任士洪記に記録されている占いにより高麗初期の建築物であると推定されています。その後1538年に再び建てられたものを1823年に修理。この統軍亭に上ると、昔の城壁や鴨緑江が見渡せます。北韓宝物第11号指定。 
 
⑮鏡城南門(キョンソンナンムン)
咸鏡北道鏡城郡にある鏡城南門は、1107年に建てられた門。石を積み上げた2階建ての楼門で、朝鮮北方の要衝だった京城邑城の城門の中でも軍事戦略や交通の上で重要な役割を果たしたと言われています。北韓国宝49号指定。 
 
⑯摩雲嶺(マウンリョン) ・真興王巡狩碑(チヌンワン・スンスビ) 
新羅・真興王の巡行を記念して建てられた碑の中のひとつ。咸鏡南道利原郡摩雲嶺にあり、568年に作られ、材質は花崗岩。高さは165.1㎝、幅44.2㎝、厚さ30.3㎝の碑です。碑文には真興王が568年8月21日に多くの臣下を引き連れ国境地帯を巡視したことと、それぞれの名前が記されています。 
 
⑰黃草領(ファンチョリョン) 真興王巡狩碑(チヌンワン・スンスビ) 
新羅・真興王の巡行を記念して建てられた碑の中のひとつ。咸鏡南道 咸興郡黄草領 にあり、568年建立、高さ151.5㎝、幅46.9㎝、厚さ48.5-24.5㎝。材質は花崗岩となっています。 
 
⑱霊通寺(ヨントンサ)五層塔
京畿道開豊郡影南面竜興里に位置する石塔。高さ約6.5m、花崗岩を素材にした5層建ての石塔で、高麗初期の石塔の特徴がよく表れたもの。北韓国宝37号指定。

 

★金剛山観光(※現在、金剛山観光は中断されております。再開されましたらサイトでお知らせいたします。(2008.7.14)

 

①金剛石(ダイアモンド)のように輝く金剛山(クムガンサン) 
中国の宋代の詩人・蘇東波が「高麗国に生まれ、金剛山が見られるなら悔いはない」と激賞した名山・金剛山。この金剛石(ダイヤモンド)のように光り輝くという意味を持つこの山への観光は、韓半島の分断の象徴でもある非武装地帯に沿って、江原道東海地帯の北韓(朝鮮民主主義人民共和国)側に位置しており、長い間一般観光客の前に閉ざされていましたが、1998年から高級旅客船による観光ツアーが始まりました。

金剛山は最高峰である毘盧峰(ピロボン/1,638m)を中心に東西40km、南北60km、面積 530km2にわたって広がっています。金剛山は渓谷美の極致とされる万爆洞(マンポクドン)渓谷がある内金剛 (ネグムガン)、万物相(マンムルサン)の山岳美に代表される外金剛(ウェグムガン)、そして東海に沿って湖と海、奇岩怪石と青い松林が絶景を演出する海金剛(ヘグムガン)に分けられます。

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季節ごとに独特な美しさを持つ風景が広がり、春夏秋冬それぞれに違った呼び名を持っています。春は花崗岩で出来た山を濡らす朝露が朝日のもとに輝き、この様子が7大宝石の一つである金剛石(ダイヤモンド)のようだとして「金剛山」と呼ばれ、夏は渓谷と山嶺を覆う緑陰の風光が爽やかなことから「蓬莱山(ポンレサン)」、秋は赤く燃え上がる紅葉が岩や松の木と見事な調和をなし、「楓嶽山(プンアクサン)」、そして冬は木の葉が落ち金剛山の岩肌があらわになるため山の峰々が骨を剥き出しにしているようなので「皆骨山(ケゴルサン)」と呼ばれます。

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金剛山は全般的な韓半島の気候に比べると比較的暖かく、夏は雨が多く、冬は雪が多く降るという特徴があります。また気候の変化が激しく、高い地帯では晴れたかと思うと一瞬のうちに霧が立込め、幻想的な仙境を演出することもあります。金剛山への観光に適した季節は、雨期が始まる前の4月から5月、雨期が終わる9月中旬から10月と言われていますが、木々が色づく9月下旬からのシーズン、また冬の雪景色も言葉に表せないほどの美しさがあります。

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 金剛山には表訓寺(ピョフンサ)・正陽寺(チョンヤンサ)・普徳庵(ポドガム)など歴史ある寺院や、阿弥陀如来座像(妙吉祥)・磨崖三尊仏、石塔、浮屠など数々の仏教遺跡、仙女ときこりの伝説が伝わる上八潭(サンパルダム)、万爆洞(マンポクトン)などがあるほか、至る所で見られる岩に刻まれた文字も金剛山の見所のひとつです。

現在、江原道の高城(コソン)からバスで38度線を越える陸路ツアーがあります。ツアーでは外金剛と海金剛を巡り、最高の水質と施設を誇る天然温泉の 「金剛山温泉」、「平壤(ピョンヤン)牡丹峰(モランボン)サーカス団 」によるサーカスも楽しめます。

 

★開城観光(現在、開城観光は中断されております。再開されましたらサイトでお知らせいたします。(2008.12.1)

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開城(ケソン)は京畿道(キョンギド)北西部に位置した高麗(918~1392)の都があった所で文化遺跡が多い都市です。北と南をわける38度線の休戦ラインを境に南側の鉄原と漣川、坡州などに接しており、漢江を間にしては金浦と江華島が向き合っています。また朝鮮戦争の時最初の休戦会談が開かれた板門店は約10キロの距離にあります。開城の面積は1,200平方キロメートル、人口は約40万人程度となっています。
開城は新石器時代から人々が敷地を定め始め、紀元前1世紀 三韓時代には帯方(テバン)があった所で、高句麗の時には扶蘇岬(プソガプ)、そして6世紀中葉には新羅の領土になって松岳(ソンアク)郡と名前が変わり、高麗太祖が935年新羅を服属した後には国都になりました。そして更に960年光宗の時に開京(ケギョン)に改称され、995年成宗の時に開城部に再び直されました。
開城は高麗の時国際貿易港としての役割をした礼成江(イェソンガン)入口の碧瀾渡(ピョンナンド)が近くにあり、早くから商業都市として発達しました。商才に長けていた開城の人々は全国の行商を組織化し、ソウルに「松房(ソンバン)」と呼ばれる店を置いて全国市場の経済圏を掌握したりもしました。その上開城の商人は西洋より200年先立ち「四介置簿法」という独特の複式簿記と手形を創案して利用したりもしました。

 


 

 

 

 

 


 

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